引き算の美学

ワタクシはこれまで、人生における大きな挫折やキャリアチェンジをこれでもかという程経験しておりますが、本当にどうしようもなく迷った時には、ある有名なお寺で修行体験をしました。

そのお寺の和尚さんには本当にたくさんのことを教えていただきました。


お寺の修行というのはそれこそあわただしい仕事人生を送っているサラリーマンにとっては驚愕なくらいなにもしません 笑

朝早く起きて、ご飯食べて、掃除して、自分が決めたテーマについて考えるだけです。

和尚さんはひたすら黙ってます。そして定期的に話をじっくりきいてくれます。

たとえ数日であろうとも、このような超シンプルなサイクルで生活すると、ほんとうにもう考えることがなくなって、いくとこまで行ってしまった結果、自分の内面から必要なことが湧き上がって、いろいろなことに気づくのです。


しかし、いろいろ悩んで、一度はそれが本質なのか不要なものかなんか最初からわかりはしないのだから、とにかく世の中のありとあらゆるものを思いっきり、ハムスターみたいに頬張ってみて、そして、その上である時期がきたら、それを一気にそぎ落とし、本質とは何かという問いに対する自分の内なる答えに気づくプロセスが必要なんだろうと。
このUターンの法則が必要であると、ワタクシなんぞは勝手に解釈しております。
意識的に情報や知識や学問、(そしてお金も)を詰め込みもしないで、ただ好きなことだけして、遊んで暮して、それでふと立ち止まって「幸せってなんだっけ?」というのでは小動物と変わりません。


仏教に加えて、日本の伝統芸における有名な言葉の一つにも、「引き算の美学」というのがあります。

足し算の美学、引き算の美学とは、建築の世界で使われます。

例えば、西洋建築では足し算(つまりどんどん華美を求める)が、日本の和室や数寄屋造りでは、余計なものは極力省き、本質である一点に集中する。

生け花の世界でも「一つのものを愛でるのに余計なものはいらない。
むしろ、その「余白」の部分があることで、一点の美を強調することができる。」と言われます。


これは茶道、俳句、写真、建築、デザイン、CMのコピー等いろいろな世界で生きる美学ですね。

ワタクシがやっていた剣道でもそうです。全身に力はいらない、余計な事は一切考えない。とにかく剣先と鳩尾に気を一点集中と教えられました。


ところで、自分の人生に話を戻すと。。


この世の中は、大抵が、自己主張、成績向上、より上へ上へ、の足し算ばかりの世の中になっています。

高度成長期の日本はひたすら向上向上、それこそ「坂の上の雲」を目指してここまできました。

貧乏で田舎出なアタシなんかにとって、東京に出てきて、そして海外へ出るというのは、それこそ絵にかいたように世間体的に望ましい人生なわけです。

しかし、その世界では足しても足しても満足できない。

そういう足し算ではなく、自分の内部から、不純なものを次々と引き去っていく引き算により、本来の自分自身に出会い、人は幸せになるのだと先の和尚さまには教えていただきました。

こういう教えは日本独特ですよね。キリスト教イスラム教と比べて、日本の土着宗教や仏教はやっぱり質素という傾向が強い。

最近、上司と部下のコミュニケーションがうまくいかないとか、キャリアに漠然と不安を抱えるとか、一昔前なら組織の権化に強奪されてきた「個人の悩みや問題」を、企業も無視できなくなってきていて、そこに、ビジネス・コーチというサービスと考え方が急速に広まってきていますが、日本の文化の中にはもうすでに以前からコーチング的な考え方はあったということですね。

キャリアについてアドバイスがなされている書籍などには、よく「答えは自身の中にある」というものがあります。

人生は自分自身に気づいていく旅に他なりません。自分を変えていくのではなく、本来の自分自身に気づいていくのです。

自分に無いものを取り入れようとする、弱い部分を変えようとするのでなく、より本来の自分自身に気づいて自分を活かしていく。

これが人生の旅というものですね。