ありがとうの反対語
ふとしたことから、つい最近親しい人から聞いた話が結構気にいってしまいました。
単純だが、考えさせられる質問2つ。
「ありがとうの反対語は?」
ワタクシ咄嗟に答えがでませんでした。
さぁ、なんでしょうか?
答えは
「あたりまえ」だそうです。
あたりまえは、仏教上でのありがとうの反対語。
私たちは当たり前だと思う事に「ありがとう」とはいいません。
感謝の心が生まれないからです。
子供の頃、誰かが家事をやってくれることなんて、当たり前だと思っていませんでしたか?
一人暮らしを経験してはじめて、家事洗濯がいかに大変だったか気づくことがありますが、それはとても大切だと思います。
日ごろ当たり前だと思っている事をちょっと見直してみましょう。
そうすると、自然と感謝の気持ちが湧いてきて、同時に幸福感も味わえるかもしれません。
次は、もっと深いですが
「愛情」の反対語は?
これも咄嗟に答えられませんでしたが。。
答えは、
「無関心」だそうです。
愛情の反対は怒りとか憎しみではなく、無関心だってのを言い切ったのは、マザー・テレサです。
愛情の反対語は無関心。
子供を一番グレさせるのは、親の無関心のような気がします。
最近の異常な少年犯罪も、親の無関心が大いに影響してますね。
友情も一緒で、他人に無関心であっては友達の輪も広げることができないのだろうな。