江戸期日本人はどんなだったのか

今日は良い記事を読みましたのでそのまま転送です。
私の大学の同学部の大先輩である池田さんという方の対談記事です。

特に江戸時代の日本人の精神性についての見解が私にとっては秀逸に写りました。

自衛官は感性が大切な仕事

―今日はよろしくお願いします。初めて自衛隊学校に入りましたが、掃除が行き渡り、空気がピシッと澄んだ感じがしますね。


陸上自衛隊小平学校敷地内。
池田:そうですか。私たちはもう慣れてしまっていますが、外から入られるとそう感じるのですね。学校内は全員で掃除をし、立ち木の手入れなどをしています。
 自衛隊の仕事というのは、「こわい」というイメージがあるかもしれませんが、人を動かして、人の心をつかむことが不可欠なので、感性がとても大事になってくるのですよ。もちろん「戦う」という要素もありますから、人間の営みのあらゆる要素、すなわち、食べること、気象条件、社会情勢など、すべてが分かった上での判断力が必要になってきます。

―そうなのですね。現在、池田さんは陸上自衛隊小平学校の人事教育部部長をされていますが、これはどういったお仕事なのでしょうか?

池田:この人事教育部では、人事、広報、厚生、法務に携わる幹部の育成及び事務官等の教育を行っています。当校には年間約2700名の学生がきますが、我が部はその中でも最大の約800名の陸・海・空の隊員が入ってきます。教室ではそれぞれの教官が教育を行なっていますので、私が行うのは全般的な指導が中心です。彼らに対して訓話を行う時間があるのですが、その時に船井先生のおっしゃる"百匹目の猿現象"の話をしたり、「意識づけ」を主に行います。意識を高めることが私の仕事だと思っています。

―なるほど。それでは、池田さんが自衛官になろうと思われたきっかけは何だったのでしょうか?


池田 整治さん
池田:私はもともと小・中学校時代は野球少年で、高校でも野球をやりたいという夢がありました。しかし生まれ育ったのは愛媛県の最南端の小さな町で、農家の次男ということもありまして、高校に行くなら農業科ということで、普通科に行くという選択肢がなかったのです。
 そんな時に、隣の町に横須賀の陸上自衛隊少年工科学校に入っている人がいました。その人から話を聞く機会があり、少年工科学校に興味を持ったのです。私の父も元海軍の軍人でした。戻って地元で農業をやっていましたが、父自身、「自分だけが儲けるのはよくない。皆が儲けるのがよい」という考えを持った人でした。そんな父の影響もあって、私も15才の頭で「少しでも世の中のためになること」という視点で考えた時、少年工科学校に入り、自衛官になると、少しでも国のためになるのではないかと思いました。そういう夢を持って入りました。

米ソ二極対立の狭間でのショックな出来事

池田:しかし私が入学したのは昭和45(1970)年で、米ソ二極対立の真っ只中でした。すごい環境でした。私が育った町の学校では先生に、「知らない人でもとにかく、朝、学校に行く間に挨拶しなさい」と教わり、のどかな原日本人の心があるようなところでした。ところが横須賀の陸上自衛隊少年工科学校に行ったらまったく状況は違ったのです。毎日学校がデモ隊に取り囲まれるような環境だったのです。非常にショックでした。
 中国、ソ連という共産圏…当時でいう敵国と、アメリカがあり、日本はその中間にありました。共産国の進路をまたぐように位置しているのですね。そして同じ日本人でも、アメリカ好きの人もいれば、共産主義の方がいいという人もいます。共産主義派の人々にとっては、日本の中でも自衛隊というのが一番の敵ということになるのです。そのため、デモ隊は全部自衛隊に象徴的に来るわけです。
 だから外出はできないし、暗いし、テレビなども見られません。一番ショックだったのは、初めて外出した時です。
 当時、外出には制服着用が義務づけられていたのですが、ワンマンバスに乗り、私はそれまでワンマンバスに乗ったことがなかったので、「どうしたらいいのかな」としばらく戸惑っていると、バスの運転手さんに「税金泥棒!!」と言われたんですよ。
 15才でそんなことを言われ、とてもショックを受けてしまいましてね。それ以来、夜、消灯後に布団をかぶって泣いていました(笑)。それで「学校をやめたい」と思いましたね。でも愛媛から出る時、家族や親戚、学校の友達などから盛大に見送られて出てきましたから、帰るに帰れないんですよ(笑)。

陸上自衛隊小平学校校舎(一部)の入り口。

暗い社会からの脱出に成功

池田:そういう事情で帰るに帰れない。でも学校はつらい。それで、この暗い社会から合法的に脱出する方法を考えたんです。それは、防衛大学に入って大学枠の資格を取り、松山市の職員として愛媛に帰るということです。

池田さんは今もこのように空手の訓練を行うのが日課だそうです。
 そう決めてからは、いままで布団で泣いていたのを懐中電灯に変えて、昼間の勉強とは別に、防衛大合格を目指して受験勉強を始めたのです。
 そして無事、防衛大学に入学ができました。すると防衛大学がすばらしく、天国だと思えました。そこで自分が変わることができましたね。
 そして大学時代に空手を始めました。それまで野球少年だったのですが、「万が一の時は自分一人で対処できるだけの力を持っていたい」と考え、空手を始めました。そういう気持ちは、人間なら誰でも根本にある気持ちだと思います。そのためにも武道をやりたい、武道の中でも本当の武道として残っているものは空手しかないと思いました。なおかつ防衛大学の数あるクラブの中で一番きびしいのが空手部だったのです。それで入部しました。

―そうですか、その頃から充実した生活になっていったのですね。ところで池田さんは、船井に宛てたお手紙の中で、栄養に関する情報を教えてくれたり、食品添加物が人間に及ぼす悪影響についてなど、食に関する詳しい内容を書かれていましたが、食に関して大きな関心がおありなのですか?

池田:そうですね。食に対して関心を持つようになったのは、実は私の家内が6回くらい切迫流産を経験しているのですね。 
 結婚して3年間は子供ができず、その間にも3回くらい切迫流産を経験しています。その間に医者からいただいた薬をよく見てみると、単なるビタミン剤なのですね。私自身も、若い頃、睡眠時間が少なく、昼間は食事もほとんどとらず、夜はおにぎりとアルコールをとるという無理な生活を続けていた時期があり、体を壊した経験がありました。その時に健康が一番大事だと分かりました。それ以来、自分でも食や栄養について勉強し始めました。おかげさまで今では子供4人に恵まれ、妻も家事や子育て、そして自分のビジネスにと、本当に元気になりました。

池田さんの著書『心の旅路』(新風舎刊)。家族愛と旅の思い出・写真がつまっています

"本物の情報"を自分で選び取ることが大切

池田:結局、テレビなどで表に流される情報というのは、流す側のPR的要素があって、スポンサーの利益が出るために流しますので、客観的に見て、本物の情報が流れないのは当然なのです。だから本物の情報を知りたいと思うと、自分から選びとるしかありません。そういうこともあって、勉強を始めました。
 いま、大量に出回っている食品に含まれる添加物の量というのはすごいですよ。やはり人間にとって、とくに組織のリーダーになるような人にとって一番大切なのは健康管理ですから、食生活も日本人本来の和食に戻るのがいいと思いますね。戦後、牛乳を普及させたのはアメリカの洗脳だと思いますよ。

―牛乳の普及はアメリカの洗脳…。「戦後、アメリカが日本人の高い精神性が復活することを恐れて、食生活や文化、教育などを徹底して欧米化した」と船井も言っていますが、池田さんも同じお考えでしょうか?

池田:そうですね。その通りだと思います。戦後どころか明治維新でまず、主に日本の上層部を洗脳することで日本人の精神性の50%は奪われたと思います。そして第二次世界大戦以降はマスメディアが一気に発達したので、いろいろマインドコントロールできますから、結局、ほぼ100%の日本人の本来の心が失われていったのです。アメリカと同じ考え、すなわち「今だけ、自分だけ、お金だけ」となってしまったのです。


自分の存在を否定してくるものの正体を突き詰める

池田:先ほどお話しました通り、私は少年工科学校にいた時、「税金泥棒」と言われました。その時、自分の存在を否定されたように感じたのです。
 人間何がつらく悲しいかというと、自分の人格、そして自分の存在そのものを否定されることほどつらいことはないのです。当時の自衛隊に対して、反対している人は何も考えないかもしれません。しかし言われなき反対で、弱い立場にいる人はずっとつらかったのです。自己存在の否定…すなわち「お前なんかいない方がいい」と言われることが人間にとって一番ショックなことなのです。
 そこで私は「自分たちの存在を否定してくる敵の正体は何なのか?」そして敵の弱点をしっかり見つけて、そこに理論的にも勝たないかぎり、自分が否定されたものを克服できないと思いました。

池田さんの読書記録ファイル。池田さんは18才の時から読書記録をつけており、自らの"読書道"をお持ちです。船井幸雄の本の読書記録もたくさんあります。
 それで防衛大学では国際関係論という学科に入りました。そこでまず、敵は共産主義、その中でもマルクス・レーニン主義だと思いましたので、マルクスの哲学、基礎を徹底的に検証しました。するとこの理論の人間観には問題点・欠陥があると分かったのです。 
 マルクスの人間観は要するに、「周りのものが変われば人間は変わる」という唯物史観ですね。しかしそれは人間に対する考え方が甘いと思います。人間というのはまず「心・意識ありき」だと思います。
 そのように、根本にある思想が間違っているので、時がたつにつれて、「形だけ、力だけ」で統制していく社会になってしまい、やがては共産主義は崩壊するだろうと予測しました。卒論でも「マルクスの人間観とその欠陥」というテーマで書いたのですよ。見事に当たりましたね。

―そうですか。では今の資本主義についても、矛盾があるからいずれは崩壊するとお思いでしょうか?

池田:そうですね、そう思います。99.9%の人は今のアメリカを中心とする資本主義の思想の中でやってきていますが、それがどんどん行き詰ってきています。今が本当に大きな変化の時期だと思います。
 船井先生もおっしゃっていますが、この地球という星は、まだ『宇宙学』(コスモロジー)で言うところの"不良星"です。それが1段階上の"優良星"に進化できるかどうか、現在が境目の時だと思っています。だから1万年に1回くらいの心の転換が必要になってくるのだと思います。

すばらしい江戸時代文化への回帰

池田:これから先の時代、世の中は、私たちは日本人の本来の姿、すなわち江戸文化的な時代になっていくのだと思います。

―江戸文化? これから私たちは、江戸時代の文化のようになると思われますか?

池田:そうですね。そう思います。私が考える「人間の本来の生き方」というのは、江戸文化的な、自然や共生を大切に思う生き方ですね。だから私たち日本人にとっては、祖先がやってきた当たり前の生き方に回帰するということなんですよ。

―なるほど。江戸時代というとどうしても「封建的であまりよくない時代」というイメージがあるのですが、江戸時代の文化というのはそんなにすばらしかったのでしょうか?

池田:そういう江戸時代に対するマイナスのイメージは明治政府が作為的につくったものなのですよ。明治政府の良さを印象づけるためにね。江戸時代は本当にすばらしかったです。たとえば江戸は人口約100万人で、世界一人口の多い都市でした。当時、ロンドンやパリの人口は60万人前後です。江戸は緑にあふれ、クリーンで美しい町だったのです。
 また、日本は縄文時代から土の文化です。土の文化は自然と共に生きています。そこでは今でいうリサイクルが非常に発達していました。
 江戸時代の具体的な生活については、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』(平凡社刊)という本がとても参考になると思います。これは幕末前後に日本の近代化のために欧米から訪れた約4000人の外国人が残した手記をそのまま訳して編纂されたものです。客観性があり、参考になると思います。
 その本には、「日本に行ったら、物乞いをするどころか、子供たちがにっこり笑って『うちに遊びにおいでよ』と誘ってくれ、家に行くと、ごはんは食べさせてくれ、お風呂まで入れてくれた。寝るときは鍵さえかけないで寝られるほど安全で、帰るときにはおみやげまでくれた。なんてすばらしい国なんだ!」と、その人間性の高さにビックリしたことなどがたくさん書かれています。
 また各家には庭があり、人間の出した糞尿を肥料にして有機の野菜をつくっていたようです。治安的にも安全で、100万人の都市に警察官はわずかな人数で足りたようです。

写真が趣味という池田さんが最近撮ったマロウ(別名:ウスベニアオイ)。
 さらに驚くのは、例えば目の不自由な人に対して、現代の感覚では、お金を寄付するという発想になりますが、そうではなく、按摩(あんま)とか琵琶法師など、目の不自由な人にしかなれない職業を特権として与えていたのです。お金を与えるのではなく、職業を与えていたのです。だから、目が見えなくても自立して一生生きていけるのです。まさに、私たちが今向かおうとしている、本来の人間のやるべきことをすでにやっていたわけですよ。それに感動しましたね。
 一方、ヨーロッパは石の文化ですから、確かに見栄えはいいですよ。しかしながら、その実態はどうかというと、まずトイレは、壷の中にするのですよ(笑)。壷に入れたら、窓からポチャンと捨てるだけですよ。だから下に人がいたり、通りに人がいたりしたらたまらないですよね。そのため町中臭いし、日が照るとハエなどが出てきて、すぐに病原菌が流行するのですよ。それで香水の文化が発達したというわけです。

日本人の本来の姿は、武士道精神そのもの

池田:日本人の本来の姿というのは、究極の"誠の道"、すなわち武士道の精神そのものだと思います。映画の『ラストサムライ』などは侍の姿として参考になると思いますよ。
 武士道精神を持つ人は、お金も名誉も、地位も、命さえも何もいらない。そして自分の大義、信じるもののために全力で尽くします。これが伝統的な武士道です。これが日本人の"誠の道"だと思いますね。それを体現したのが、江戸時代の侍だったり、時代は違うけれども、特攻隊で亡くなった若者たちかもしれません。そういう意味で自衛官というのは、人のために命をかけて尽くすことを使命としていますから、武士道の精神が残っていると言えると思います。
 そしてその武士道に対峙するのが、悪い意味での資本主義だと思います。それは「今だけ、自分だけ、お金だけ」なのですね。

部長室には池田さんの息子さん達の少年野球の写真が大切に飾られています。
 そのようなすばらしい"日本人の誠の心"が、明治維新第二次世界大戦など100年を通じて無くされてきた…というのが私の持論です。確かに明治維新はすごいことでした。戦後の発展も目覚しいものがありました。しかしそれだけでは物事の半分しか見られていないと思うのです。そんな経緯があって、成り立っている社会がいまの日本なのです。
 「物事の根本はどこにあるのか」ということを探求するのが私の心の一つの形なのです。
 だからある意味、大それたことを言いますと、船井幸雄先生の生き方と同じなんですよ。
 「人間は何のために生きるか」「宇宙の構図は何なのだろうか」…ということが、ずっと私の探求のテーマだったのです。

―そうなんですか。本当に船井幸雄と共通するところがありますね。 それでは最後に、池田さんはこれまで、阪神淡路大震災有珠山噴火の救護活動に携わったり、地下鉄サリン事件では、その直後の上九一色村強制捜査に突入されています。まさに命をかけた仕事に挑まれていらっしゃいますが、そんな時、どういうお気持ちで取り組まれるのでしょうか?

池田:それはただ「任務遂行」ということ、それだけですね。