終身雇用制度はもう現実的ではない

かつて日本の高度成長を支えた大きな功績の一つとして、日本独特の終身雇用制度があります。
言うまでもなく、会社に身も心も人生も預ける代わりに、会社にすべてを守って貰うというもの。
まぁこれは、別の言い方をすれば、昔の小作農、もっと悪く言えば奴隷制に近いものです。

アメリカでは1861年-1865年に南北戦争(Civil War)が起こっています。
南北戦争という日本語は、何の変哲もない意味合いですが、英語ではCivil War、つまり国民戦争です。それだけ大きなインパクトのあった戦争です。

アメリカ最大のこの内戦は、奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州のうち、11州が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州との間で戦争に発展したものです。

教科書的には、リンカーンに代表される北部が、正義の味方のように、奴隷解放を宣言し、それに反対した悪者南部が抵抗したが、結局敗北した。という雰囲気で書かれていたと
記憶しておりますが、そもそも、奴隷は人道上よくないから止めよう、いや止めたくない、といったレベルのお話ではまったくなく、正確には
「雇用主 vs 福利厚生を含めた扶養義務を受ける従業員」といったイメージの社会的対立の結果であると思います。

すなわち、北部では産業の工業化に伴い、農業の従業員が必要なくなった為、これまで農業向けが中心だった奴隷を抱えているコストを、雇用主が負担しきれなくなってしまったという現実があります。

こうした経緯から、北部では奴隷制を廃止しようと提案します。あくまでも人道上というフリをして。
しかし本当のところは、要は、今の日本でも直面している「不要な従業員のリストラ」をしたかっただけなのです。

これに対し、南部の州は、まだ産業の工業化がそれほど進んでいなかったため、奴隷、すなわち低廉な従業員を抱えている需要がありました。
もちろん、人道的側面は政治プロパガンダ上当然必要でしたが、それ以上にこうした社会構造のパラダイムシフトに伴う、新旧勢力の戦いだったわけです。

こうした社会構造のパラダイムシフトは、何も歴史上だけで終わっているわけではなく、今現在、まさしく日本でも起こっています。

日本も高度成長期には労働力の確保が生産量向上のための最大の資源でした。

従業員を抱え込むんほど売上が増えるのであれば、終身雇用制度は非常に都合のよい制度でした。

ところが、社会が製造業の中心を欧米→日本→アジアへと移していっている中、これまでのような単純製造業の分野において、日本は中国、ベトナム等の発展途上国に追いつかれてしまったため、同じ従業員に必要とされるノウハウの形体がこれまでと変わってしまったのです。
具体的には、単なるモノづくりだけではなく、マーケティング思考、デザインセンス、ウェブとの連携、英語、、等など駆使して新しい製品を作れる人材が必要になってきています。 
一昔前は熟練工しかできなかったような設計などは、CADやモジュール化の推進で、派遣社員でもある一定期間の訓練で対応が可能になってしまっています。

こういった状況で、昔の帝国主義国家ならば、戦争をふっかけて新しい市場を開拓していたかもしれません。
また、国内では、アメリ南北戦争のように、国家的大リストラによって戦争が起こっていたかもしれません。
日本だって、江戸の鎖国から幕末→明治と、黒船からの脅しがあったとはいうものの、パラダイムシフトで大混乱を経験しています。

結局、これから数年はこういったパラダイムシフトが生まれる激動の時代だという認識を持つことが必要なのだと思います。

派遣切り等がマスコミで過熱気味に報道されてますが、必ず次は終身雇用の実質(名ばかりでなく)崩壊、正社員/ホワイトカラーの人員整理へと進みます。
だって、社会構造のパラダイムシフトが起こっているのですから。。

こういう時代を生きる切る為には、やはり古い価値観から脱却しなくてはなりません。すなわち、「有名企業にはいれば安心」とか、「終身雇用は良いことだ」というこれまで当たり前とされた
価値観を捨て、次なる時代の先を見越した価値観を自分で探し出さなければならないでしょう。

厳しいけれども、これまでの日本社会に??を持っていた若い世代にとっては新しい時代の幕開けになることでしょう。

たのしみです。